和歌浦天満宮の歴史

 

延喜元年(西暦901年)御祭神 菅原道真公が大宰府に左遷させられる途中、風波を避けてこの和歌浦の地に立ち寄られました。

その後、橘直幹が康保年中(西暦964~968年)に和歌浦を訪れ道真公を追慕し神籬をたてたのが始まりです(関南天満宮伝記より)


天神山の中腹に立ち、和歌山の青石を使用した、そびえ立つような石垣と急峻な50段の石階段。其の上に立つ朱塗の楼門(国指定重要文化財)と左右の廻廊(日本遺産)が特徴的。

楼門から振り返ると、御手洗公園、片男波・布引の海岸・藤代の山々に囲まれた和歌浦湾が望めます。


現在の建物は慶長9年に当時の朝野幸長紀州藩主により造営され慶長11年に完成されました。社殿は紀州出身の掘内(へいのうち)吉政・政信親子により作られ、政信はその後、茨城県の鹿島神宮・東照宮の元和造営に関わり寛永9年(西暦1632年)に全国の大工の頂点である、江戸幕府の初代作事方大棟梁に任命されました。


○天満宮と牛

菅原道真公は、丑年生まれ。

亡くなられ御遺体を牛車で運んでいたら突然 牛が歩みを止めたので其の場所を墓所ときめたのが太宰府天満宮であり建立の年が丑年である。


○鷽御守(うそおまもり) 

一年間に起きた悪い出来事を嘘(ウソ・鷽)にして、取り(トリ・鳥)変える全国の天満宮だけに伝わる御守です。

鷽鳥 スズメ科。体長16センチ。針葉樹林に生息し冬になると南下して低地の林でもみらる。

その昔、御祭神・菅原道真公がスズメ蜂に襲われた時に、鷽鳥に助けられたそうです。

○末社
創立不明。

平安時代に、鎮座していたと言う伝承があり、慶長時代に本殿が再興された時に、現在の場所に移築された